一般社団法人教育の未来プロジェクト

学校のデジタル化と不登校(2)

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学校のデジタル化と不登校(2)

学校のデジタル化と不登校(2)

2026/08/14

学校のデジタル化が進んだことで、学校内の何が一番変化したのか?

 

これについての学校側(ということは文科省側)の回答は、きっと次のようであるに違いない。

 

① 教員の業務(出欠管理や授業管理)が効率化された

 

② 授業も効率化され、進度が確保できるようになった

 

③ 成績に対する公平性が担保され、評価の根拠を示すことができるようになった

 

④ 学習指導や生徒指導、進路指導に連続性が生まれ、引き継ぎが容易になった  等々

 

と、これ(上記)は、学校(先生)の側からみたデジタル化の利点である。

 

一方で、そういった学校で日常をおくる子どもたちにとって、デジタル化の進化によってもっとも変化したことは何か…、と問うたとて意味はない。

 

だって、彼ら(彼女ら)は、生まれた時から「デジタルの波(渦と言ってもいい)」の中で育ってきているワケであり、つまりは「デジタル以前の社会」を知らないのであるから比較のしようがないからだ。

 

だから、デジタル以前の社会を十分に知っているボクが、その問いに対する回答を代弁してみたいと思う。

 

学校のデジタル化が進化したことによって一番変化したのは…、人間関係だ。

 

たぶん、これ…、間違いない。

 

学校教育にデジタルをふんだんに導入した…、その結果、そこに生活する人間(先生や生徒)もデジタル化しちゃった。

 

「デジタル人間」が大量生産されたワケだ。

 

でも、考えて見れば、それは当たり前のことでもある。

 

他者をデジタル的に扱えば、その他者は、やはりデジタル的に反応する。

 

それでいい…、いや、それがいい(最適解だ)と思って、子どもたちはデジタル的に対人関係を処理することになった。

 

でも彼らの体内(脳内)に、しっかりと刻まれている「アナログ的な対人関係」は、そう簡単に消えやしない。

 

アナログ的対人関係…、これは説明するまでもないであろう。

 

母親の胎内にいた頃から、保育園や幼稚園、そして理想的には小学校の低学年まで、彼らはアナログの中にドップリと浸かった生活を送ってきている。

 

アナログの連続性の中で、対人関係を学び、そして築いてきた。

 

先生は、絶対的「アナログ人間」だった。

 

そして、それしか知らなかった。

 

そのことを、学校の、特に小学校のベテラン先生はちゃんと承知している。

 

だから、特に低学年の児童には、無闇にデジタル器財は使わせないことにしている。

 

アナログからデジタルへ…。

 

その通過点(吃水点と言ってもいい)を「どこに設定したらいいか?」…。

 

これに関する国民的な合意がないまま「学校のデジタル化」は進められている。

 

っていうか、それより以前に、母親の子育てにおける「デジタル化」が、どれだけ浸透しているのかを、まず知ることが重要だと思う。

 

母親にとっては、多分に背徳感はあっても、現代の子育てに「デジタル」は欠かせない。

 

問題は、その(アナログとデジタル)の配分にある。

 

アナログの中に、乳児、幼児が深く包まれ、その上でのデジタル使用ならば、さほど問題はないだろう。

 

だが、ぞんな親のデリケートな子育ての延長線上に存在しなければならないはずの学校教育には、保育園や幼稚園ほどの配慮はない。

 

前述したような、小学校低学年までは「慎重にデジタル器財を使わせる」といった合意形成は、実は、一部の学校に留まっている。

 

そういった配慮をすることができるベテラン先生が、現場からどんどん消えているからだ。

 

たとえベテラン先生が運良く残っていても、その先生は「デジタル難民」である可能性もあるのであるから、問題は複雑になる。

 

デジタル教育の流れは止められない。

 

そしてその流れを否定するつもりはない。

 

しかし、先ほどの「通過点(吃水点)」の設定は、とてつもなく重要だ。

 

どのタイミングで、子どもたちを「デジタルへと誘うのか?」…。

 

ボクは、本音を言えば、それは高校でいいと思っている。

 

もちろん、それ以前にデジタルリテラシーの枠組みは学ばせる。

 

けれども確かな人間関係の構築期、つまりは思春期前期においては「デジタル教育」が出しゃばらないほうがいい。

 

人間関係を構築するには、互いの「間(ま)」や「遊び」「揺らぎ」「気まずさ」「心地よさ」を肌で感じ合う必要だある。

 

それらが必要なのは、何も生徒間だけの問題ではない。

 

生徒と先生の関係性においても、「間(ま)」「遊び」「揺らぎ」…、これらは必要だ。

 

そうやって子どもたちは「手探りで」成長していく。

 

先生も同じだ。

 

生徒との関係性(キョリと言ってもいい)を「手探りで」たぐり寄せる。

 

そういった人間双方の関係性が育まれる…、それが学校という社会だ。

 

つまり学校が、そんな有機的な「安全地帯」であり続けたならば、「不登校」などといった緊急避難的現象は起こらなかったはずだ。

 

学校は、子どもたちにとっての、唯一の「アジール」だった。

 

その「聖域」が、今、管理者の都合によってデジタル一色で染め上げられている。

 

学校のデジタル化は、もはや吃水点を当に超えて、子どもたちの、そして先生の「人間性」を蝕んでいる。

 

そんなことを考えるボクは…、おかしいのか?

 

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