一般社団法人教育の未来プロジェクト

学校のデジタル化と不登校(1)

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学校のデジタル化と不登校(1)

学校のデジタル化と不登校(1)

2026/08/09

国が旗振り役となって、GIGAスクール構想なるものが進められている。

 

平たく言えば「学校のデジタル化をどんどん進めていこう!」とする構想だ。

 

とはいえ、財源あっての構想だから、その進捗状況は、自治体によってまちまちである。

 

都市部の学校で7割~8割、地方部では2割~3割といった自治体が、その波に乗っかっているというのが現状だろう。

 

かつて(10年ほど前)、学校現場への電子黒板の導入が緊急に進められた。

 

生徒個人への学習端末(タブレット)の導入と軌を一にしている。

 

しかし、その電子黒板の、その後の「使われ方」がおもしろい。

 

それ(電子黒板)を積極的に使って(使わせて)授業を進める学校と、そうでもない学校。

 

一部の先生が、それを積極的に使用していても、そうでもない先生が多数存在する…、そんな学校がたぶんスタンダードであろう。

 

で、そういった学校の電子黒板は、今では埃を被っている。

 

実は、ボクが、今勤務している学校も典型的な後者、つまり電子黒板の使用は個々の先生の裁量に任せている…、そんな学校だ。

 

だから、ボクは、学期の初めに生徒に訊いてみた。

 

「電子黒板で授業をすることもできるし、昔ながらの黒板にチョークで授業をすることもできるけど。どうする?」と。

 

圧倒的に「黒板にチョーク」が支持された。

 

と、これはボクの想定内である。

 

生徒はデジタルに疲れ果てているのである。

 

街でも、家庭でも、学校でも…、デジタル一辺倒の中で、子どもたちは「デジタル疲れ」を体感している。

 

きっと「自分の中から何かが吸い取られていく感覚」なのだろう。

 

デジタルとアナログを無意識のうちに使い分けしているのが、ボクたちを含めた40代以降の人々であると思う。

 

そういった人々は、時としてデジタルから「逃げる」術を知っている。

 

「デジタルデトックス」ってヤツだ。

 

しかし令和に生きる子どもたちには、そういった意識すらない。

 

あくまでもデジタルの「対象」でしかないからだ。

 

スマホをいじれば、学校で学習端末を使えば…、その都度の動作(選択)がデジタルに落とし込まれて、AIのアルゴリズムに組み込まれていく。

 

つまり現代の学校は、そういった国家ぐるみのデータ収集に、最前線で加担している存在なのだ。

 

考えてみれば、現在の学校というのは実に奇妙な存在である。

 

都市部の学校に限って言えば、学校が、完全に地域や家庭から「遮断」されている。

 

学校全体が、ある種の要塞となって、その中で何が行われているのかが周囲からは見えにくくなっている。

 

「生徒を守る」という観点から、外部侵入者を極端に遮断しているからなのだろうが、それによって学校が「ブラックボックス化」してしまった。

 

だからそこで働く先生の存在も実に奇妙だ。

 

早朝、誰に気づかれることもなく学校に先生は現われる…、っていうか「出現する」…、そうデジタル的に出現する。

 

で、昼間は一歩も外に出ることなく、ブラックボックスの中で子どもたちを管理する。

 

で、夜になれば先生たちは静かに(デジタル的に)消える。

 

管理するという表現に語弊があるなら「データ化する」に言い換えよう。

 

日々、先生たちは生徒の情報をデータ化しているのである。

 

それが仕事になったのだ。

 

出欠状況、学習状況、面談記録、家庭環境記録、行動記録、特記情報、過年度の先生が担当した「所見」すらデータ化される。

 

そしてそれを学校が共有し、厳重に管理する。

 

しかしその重要なデータの中に、例えば「地域の噂話」や「家庭の複雑な状況」は組み込まれない。

 

そのような類いの情報はデジタル化できないし、デジタル化できないものは、データとして残しにくいからだ。

 

そもそも地域との関係を積極的に遮断しているのであるから、そういった情報は学校には入りづらい。

 

入ってくる地域情報は、せいぜい「苦情」くらいなものだろう。

 

でもって、先生は子どもたちを「深く知り」「キメの細かい指導をする」という。

 

膨大なデータがあるから、それが可能であると考えている。

 

休み時間の生徒との「雑談」や、生徒との「じゃれ合い」…、そういうものはデータの「埒外」にあるから、それをしない。

 

そういった先生こそ、真の情報が、生徒との「雑談」「じゃれ合い」といった有機的な人間関係の中にこそあることを知らないのだ。

 

つまり、そういったデータ収集とその管理を、学校で任される先生こそ、デジタル人間であることが相応しい。

 

好むと好まざるとに関わらず、一様に先生が「デジタル人間」になることが求められる。

 

それが今の学校だ。

 

「デジタル疲れ」を肌で感じている生徒が、そんなデジタル人間(先生)にも「疲れ」を感じることは容易に想像ができる。

 

だから、子どもたちは「管理されやすい存在であること」を演じることの方が、実は楽チンであると考える。

 

それは現代の学校に通う子どもたちの、ある種の生存戦略でもある。

 

「データは好きなほど集めればいい」

 

「でもね、ボクたちの心はデータ化できないよ」

 

「ボクたちはね、アナログの心地よさを知っちゃったからね」…。

 

スマホをいじる、学習端末を使う…、そのひとつひとつの動作(作業)がデジタル化されて、AIに吸い取られていく。

 

そしてAIのアルゴリズムが、子どもたちの「考え」を無意識の内に誘導していく。

 

人間をひとつの方向に誘導する、その膨大なデジタルデータを日々蓄積し、それをまとめてどこかへ送り続ける…、その最前線のひとつが学校である。

 

誰が悪いワケではない。

 

けれども、そういった巨大なデジタルのうねりの中で、途方もなく「違和感を抱き」「息苦しさを感じる」…、そんな子どもたちが増えている。

 

それは事実だと思う。

 

その「デジタル攻撃」が、何らかの作用をして、今、不登校を大量に生み出している。

 

そういったことを証明する学術的根拠は…、どこにもない。

 

ただ、ボクがそう思っているだけである。

 

 

 

 

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