「個性」「多様化」…、その真逆をいく学校 ~個性がおさえ込ま...
2026/06/27
「個性」「多様化」…、その真逆をいく学校 ~個性がおさえ込まれる構造的理由~
「個性」を重視する。
「多様性」に配慮する。
これが今の学校教育の根幹に据えられている。
しかし、日々学校に通う子どもたち、なんなら学校に通っていない不登校の生徒にだって、そんなものは「お題目にすぎない」「茶番である」ってことは、すっかりバレている。
「個性」は認める、だが暴走させない。
「多様性」は大切、だが主張させない。
それが学校の答えだ。
誰が悪いというワケではない。そうしないと学校教育がもたないのだ。
ホントのことを言おう。
学校は、先生は「個性」が怖いのだ。
「多様性」は厄介だと思っているのだ。
残念ながら、子どもたちを指導する先生…、そしてその先生の上司(管理職)こそ、まさに「没個性」の中から輩出されてきた人々だ。
先生たちが「個性」を発揮した経験がないんだ。
たぶん先生たちは、「個性」は、それを無秩序に認めすぎると集団が崩壊すると考えている。
そして「多様性」は、それを大切にしすぎると管理が難しくなると感じている。
もっと怖い話もある。
「個性」「多様性」の広がりを誰よりも怖れているのは、生徒自身なんじゃないかってことだ。
「個性」「多様性」を限りなく制限されたところで教育を受けてきた子どもたちは…、そういうふうに思うようになった。そう、調教されたんだ。
だから誰も「個性」や「多様性」に制限が加えられても、それに文句を言わない。
みんなが「揃ってる」のがあたりまえの世界を、今の学校は構築した。
いや、待てよ。
この時勢にあっても、めちゃくちゃ「個性」「多様性」を際立たせている学校(高校)をボクは知っている。けれども、そういった学校はめちゃくちゃ「偏差値が高い�
