子どもは、基本…、放っておく。
2026/05/02
不登校状態には2つのパターンがある。
一つは「開かれた不登校」。もう一つが「閉じた不登校」である。
開かれた不登校は「明るい不登校」とも呼ばれ(って勝手にボクがそう呼んでいる)、不登校状態にあっても周囲との関係性やコミュニケーションをちゃんと維持している…、そんな不登校である。
で、明るい不登校には未来がある。未来を変えるエネルギーもある。だから問題ない。
一方で、閉じた不登校とは、不登校状態に陥った初期に多いが、周囲との関係性を極端に狭めている状態にある不登校のことである。
誰だって不登校に陥れば、周囲との関係性を疎ましく思うし、「一人になりたい」「放っておいてほしい」とする感情に支配されるものだ。
だから、まず不登校の初期においては、できるだけ「一人にしてあげる」「放っておいてあげる」ことをボクは推奨している。
もちろん個人差があるから、一概にこのやり方が正しいとは言えないかもしれない。
けれども、子どもが不登校に陥ったほとんどの場面で、先生や保護者は、これとは逆の「圧力」を子どもにかけけ続けてしまう。
「何があったの?」「どうしたいの?」「勉強は大丈夫?」…、こんな質問を子どもに投げかけずにはいられないのだ。
考えてもみてほしい。
不登校を堂々と宣言し、確信的不登校になった子どもならいざしらず、大抵の子どもの場合、不登校に陥った時、そのような状況になんで陥ったのかについて、きっと深く考えている。そして焦っている。
つまり大いに混乱しているのである。
そんな時に、周囲の大人たちは「良かれと思って」、あるいは「心配のあまりに」質問攻めにする。
つまり不登校の原因を究明しようとする。
原因が明らかにならないと自分(大人たち)が苦しいからだ。
学校にいかないなんて俄には信じられない、ありえない現実から、少しでも自分(大人たち)が解放されたいからだ。
だからこの段階(子どもが不登校に陥った段階)で、周囲の大人たちは、まずは一息つこう…。いったん休止符を打とう…。
自分(大人たち)の何が悪かったのかなんてまったく考える必要はない。
ただ冷静に、そして真っ直ぐに「子どもの不登校」を受け入れることだ。
「一人になれた」「放っておいてもらえた」ところの子どもたちは、穴が空くほど自室の天井を見つめ悶々とする。
そして、それでいいと思う。
彼らは思春期の真っ只中にいるんだ。そのことを大人たちは忘れてはならない。
学校生活のストレスとか、友人関係の複雑さとか、親子関係の難しさとか、勉強や将来に対する不安とか…、そんなこんなの「思い」を抱えたまま、いつでも心のバランスを保てる子どもなんて、ほんの少数派だ。
ちょとした精神のほころびで、例えば学校に行けなくなる…。そんなことは十分にあり得るんだ。
じゃぁ、なんで昔は不登校児童・生徒が今よりも圧倒的に少なかったのか?
こんな疑問をもつ御仁もいるだろう。
答えは明白だ。
これを言ったら身も蓋もないが、「大人が子どもの思春期にいちいちカマッている暇がなかった」からだ。
前述したように子どもたちは常に悶々としている。その悶々とした日々を大人たちは完全に放っておいた。
無視をしていたのではない。確信をもって放っておいたのだ。
すると子どもたちは、子どもたちなりに、そういった悶々とした状態からでも、ちゃんと呼吸をし続ける術を身につける。
そう、それが自然治癒力ってヤツである。
子どもを(良い意味で)放っておく…。
少子化の今では、それができなくなった。
マジョリティー化した大人が、子どもの周囲を取り巻いて、何でもかんでも世話をやく。
マイノリティー化した子どもたちをカマいまくる。
そうでもしなきゃ、子どもたちは健全に育たないと勝手に思っている。
これ実は大人たちの「おためごかし」だ。
子どもは子どもたちの世界で育つ。大人がかりで初めて機能する「エセ子どもの世界」なんてロクなもんじゃない。
だから、よっぽどの緊急時でない限り「子どもは放っておく」に限る。
ちなみに単なる不登校は、ここで言う「緊急時」には、もはや該当しない。
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