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<title>【学校は、すべての子どもにとって居心地のよい場所なのか？】</title>
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【学校は、すべての子どもにとって居心地のよい場所なのか？】
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20261024210730/</link>
<pubDate>Sat, 24 Oct 2026 21:07:00 +0900</pubDate>
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<title>学校の制度設計。</title>
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<![CDATA[
昭和から平成の初期にかけて、小学校の就学時に「集団知能検査」というものが実施されていた。いわゆる「IQ検査」である。この検査の結果、集団は概ね「IQ100」を中心（頂点）として、その前後に緩やかな裾野を形成することがわかる。つまりIQ知能90～110の範囲に、全体の70％が分布し、それが70～130に広がると、全体の95％を包括するようになる。そして、包括されない5％の人々（子どもたち）に対して行われるのが各種の支援教育というもので、この支援が近年では充実してきている。ところが問題となるのが、IQ70～130の子どもたちを「一律に指導する」といった、現代の学校教育のしくみである。一般的に（科学でも証明されている）IQが30以上離れると、互いの意思の疎通が困難になるという。有り体に言えば、IQ70の子どもとIQ100の子どもは、何とか意思が通じ合う関係性を保てるが、IQ70と120では、それが「できない」ということだ。そこで教師（学校）は、IQ100前後の子どもにとって一番都合の良い授業を展開することを心がける。そうしていれば、少なくても全体の70％の子どもたちには、ある程度の満足感を授業で与えることができるからだ。前述したが、IQ検査（最近では「WISK検査」という）で70を下回れば、保護者の同意の下で「支援教育」を受けることができる。でも、IQ70～90未満の子どもには、今のところ何の支援もできないことになっている。繰り返すが、学校はIQ90～110を念頭に置いた授業展開をする。それがもっとも合理的だからだ。ということは、IQ70～90の子どもたちには「わからない」授業になっている可能性が高い。だから先生は、そんな子どもたちのために「とにかく覚えろ」と指導する。「この部分…、覚えればテストで点が取れるから」と言って、とにかく点を取らせる。しかし彼ら（IQ70～90）の気持ちは晴れない。本質的に「理解できていない」のだから、何となくモヤモヤするのは当然だ。同じ事は、IQ110以上の子どもたちにも言える。110～130にある子どもたちは、ある意味で「優越感」に浸れるだろう。難なく、苦もなく…、理解できるからだ。簡単すぎて欠伸がでちゃうかもしれない。ところが、IQ130を越えると、その状況が一変するみたいだ。優越感どころか、別の苦痛に見舞われる。「何でこんな授業に付き合わなければならないのか」といった苦痛だ。しかし、そんな彼ら（「吹きこぼれ」という）に明確な支援はない。そして、このIQ90～110を中とした合理的な取り組みは、授業だけに収まっているわけではない。学校という社会を制度設計する際の「基本中の基本」として、あらゆる場面に浸透している。学校内の細かなルール規定、目には見えない規範や習慣、教科書の記載にいたるまでが、「90～110」が心地よく過ごせる場として機能しているのだ。その制度設計が、近年になって「完成した」とボクは見ている。完成したのだから、この設計は、今後一㍉も変わることはないだろうと、ボクは見立てている。するとどうなるか？居心地の良い子どもは、ずっと「居心地の良いまま」で過ごすことができる学校となった。しかし、居心地の悪い子どもは、「居心地の悪いまま」で学校生活を送らねばならない。そこに残念ながら学校内での「逃げ道」はない。完全な少子化（子どものマイノリティー化）で、学校内でマジョリティー化した大人（先生）が、ガッチリとその設計の守りを固めているからだ。となれば、「逃げ道」はただ一つ。「脱学校」しかない。これも不登校の一面である。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20261021085933/</link>
<pubDate>Wed, 21 Oct 2026 09:59:00 +0900</pubDate>
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<title>実はボクも…。</title>
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<![CDATA[
もう50年以上も前の話になる。ボクは高校入学時から、定期的に父親の経営する会社を手伝っていた。会社と言っても、正規の従業員がいたワケではない。契約労働者が数人いて、建築現場でユニットバスの据え付け工事を行っていた。高校進学時まで、おそらくボクは「勉強ができる」類いの人間だった。進学した高校も、自称「進学校」として名を馳せていた。ところがボクには、この高校を心底好きになることができなかった。ある日、別の高校に行った友人と街中を歩いていた。翌日、学校に到着したボクに、同級生が「昨日のアイツ…、どこ高校？」と尋ねてきた。「〇〇高校だよ」とボクは返した。すると「あ～、あのバカ高校ね」…、そういって同級生は鼻で笑った。そんな「イヤミ」な高校だった。その一件以来、ボクの足は、自然と学校から遠のいていった。けれどもボクには生きていく道があった。ユニットバスの据え付けだ。日給で10000円にもなる。だから週に3日は建築現場に通った。勉強はしなくなった。同級生と同じような人種にはなりたくなかったからだ。けれども友人はできた。ボクと同じような境遇にあった、はみ出し者たちだ。ところが、そういったヤツに限って早々に学校に見切りをつけていった。一人消え…、また一人消え…。その結果、ボクの高校での友人は、たった一人となった。そしてその彼もまた「登校拒否」に陥った。学校に行くと決めた日、ボクは遠回りをしてその友人を学校に誘った。友人は10時頃、やっと起きてきて、なぜか風呂に入った。友人の母親（祖母も）がすっかりボクを気に入って、毎回、昼食（友人にとっては朝食）まで用意してくれた。だからボクと友人が学校に行くときは、いつも５時間目の授業の途中だった。そんな思いまでして、必死になって（笑）通っていた高校の授業中にちょっとした事件があった。現代文の授業だった。なんだか知らないけど、ギラギラした若手の新人教員が担当していた。そのやる気マックスの新人教員が、突然ボクに質問してきた。「おい、井上。ここの主人公の会話部分を読んで、お前はどう思った？」「あぁ～、〇〇だと思いました」「違う！」「違う？！」「お前は間違っている！」「ちょっと待ってくださいよ。先生が『どう思う？』で訊いてきたからボクは自分が思ったことを言っただけです。それのどこが違うんですか？！」「なんだその態度は！？」「それはこっちのセリフですよ！」「ちょっと来い！」そう言って、その新人教員はボクを職員室に連れて行った。友人が遠くからボクに声をかけた。「負けるな、井上！」職員室には、当時のボクの担任がいた。ボクには、この担任を含めてたった二人だけ心を許せる先生がいた。「お前、何か…、しちゃったの？」「ご心配なく。たぶん…、ボク、勝ちます」すると件の新人教員が、未だ興奮を抑えきらずにボクのところへと突進してきた。で、ボクに一冊の本を開いて差し出した。「ここを見てみろ」それは、先生のための指導書…、つまりは教員のアンチョコ本だった。「ここにはな…、ほら、『主人公は〇〇のような心情であった』…、そう書いてあるんだよ。だからお前のは間違いだ！」「へぇ～、先生ってこんなのを見て授業してたんですか。ちょっと尊敬できないな～」「おい、井上！」担任が割り込んできた。「まぁ～、そのくらいにしておけ」「ボウは自分の思ったことを言っただけです。それなのに…、この人ったら…」新人教員は最後にこう言った。「お前みたいなヤツはろくな人間にならないぞ！」「〇〇先生、それはないでしょ！」見ると担任が真っ赤な顔をして新人教員に詰め寄っていた。「まぁ、まぁ、二人とも落ち着いて…」結局、ボクが二人をなだめて、その場は収まった。ちなみにこの時の新人教員は、その後15年ほどしてから教育委員会に招集された。なんでも指導主事とやらに出世（？）して、現場の教員を指導する立場になったらしい。つまり、そんなことがあったりもして、ますますボクの足は学校から遠のいていった。まちがいなく「学校不信」「教員不信（担任とその相棒は除く）」に陥った。ボクのヘソは完全に曲がって、背中についてしまうほどだった。つまりボクは「日給10000円」に完全に負けて、「登校拒否予備軍」になった。ボクの高校生活3年間の総欠席数は199日、遅刻数は333回であった。けれどもボクは、今でもこうして偉そうに高校で教員として働いている。いや、働かせてもらっている。一応…、ちゃんと生きている。それは件の友人とて同じだ。登校拒否、もとい、不登校にもいろいろある。その中にあって、ただ一つの真理…。それは「自分を見失わなければ、絶対に道は拓ける…」ということだ。「自分を見失わない」…、これを貫いてほしい。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20261009151936/</link>
<pubDate>Fri, 09 Oct 2026 16:24:00 +0900</pubDate>
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<title>25年前、突然「顔面麻痺」になった。</title>
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<![CDATA[
25年前、突然「顔面麻痺」になった。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20261004105248/</link>
<pubDate>Sun, 04 Oct 2026 10:52:00 +0900</pubDate>
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<title>不登校は連鎖する。</title>
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<![CDATA[
25年前、ボクは突然の「顔面麻痺」に襲われた。どの病院に行っても、治るか治らないかは「五分五分」と言われた。じゃあ、その原因は何？と訊いても、医師の回答は「人それぞれ」であるという。納得ができないボクは、その後、病院を13軒渡り歩いた。そして14軒目のクリニックは、初めてボクの話を60分聞いてくれた。で、診断名は「うつ」であった。そのクリニックで診断書を書いてもらって、医師の勧めもあり、ボクは長期の職場離脱をすることになったのだ。今とは違い、当時は「うつ」とか「メンタル」とかいった言葉は、日常ではなかった。医師は、ボクの顔面麻痺は、極度のストレスによる精神からのSOSであるという。言われて、ものすごく納得することができた。ボクはかなりの無理をしていた。できないことも「できる」と言い張って、仕事を抱えていた。つまりカッコをつけていたのである。そういった傲慢さに対し、ボクの体は顔面麻痺を起こして、危機をボクに知らせてくれたのだ。だから、「うつ」と診断されて、ボクはどこかホットしていた。もう頑張らなくてもいい。カッコつけなくてもいい。そんな安堵の気持ちが、ボクを満たしていたことを覚えている。学校に休職届を提出した後、ボクは学校からの情報を遮断していた。それでも、月に一度は「経過報告」と称する儀式があったから、ボクは学校に出向いて、校長に報告を行っていた。そしたら、校長から驚くべきことを聞かされた。「先生が休職してから、立て続けに二人の休職者が出た」と。「休職理由は、二人とも『うつ』と『メンタル不調』である」と。「いや～、参ったよ」と。その後の社会が歩むことになる、「社員のメンタルと向き合う職場」のさきがけにボクの職場はなっていたのだ。で、後から訊いた。「その二人とは誰なのか」と。「〇〇先生と〇〇先生」なるほど、当時のボクと同じか、それ以上の状況下でストレスを溜め込んでいた先生たちだ。きっと、その先生たちにとっては、「診断書からの休職」というボクの行為がトリガーとなって、一気に休職という選択になったのだろう。つまり「うつ」と「休職」が連鎖したのである。ところで、不登校が未だ「登校拒否」と呼ばれていた頃、それが連鎖することはなかった。当時の「登校拒否」はかなり特殊な現象であり、世間に広がることも、あまり想定していなかった。ところが2000年代以降の「不登校」は、その増え方を追えば、年々右肩上がり。それが現在でも続いている。小中学校に限っても、全国で、ほぼ年間に一万人の増加だ。学校が苦しい、人間関係がキツイ、圧が強い、とにかく息苦しい…。そういう風に思いながら学校生活を送っている子どもたちがたくさんいる。そのようなことになっているのは、学校という人間集団に「構造上の問題」が絡んでいるからだとボクは睨んでいる。学校の「構造」に問題があるから、年々、その「欠陥構造」の中から、不登校が生まれてくるのだ。ボクが罹った「うつ」が、職場の構造上の問題を遠因とするなら、子どもたちが陥っている「不登校」は、学校の構造上の問題を遠因とする。たぶん、それは間違っていない。つまり学校にも「病理」が棲みついている。その「病理」を忌諱することで、子どもたちは己の精神を何とか繋ぎとめている。それが「不登校」の正体であるとすれば…、今後も、ますます「不登校」は…、連鎖することになるだろう。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260930110912/</link>
<pubDate>Wed, 30 Sep 2026 12:12:00 +0900</pubDate>
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<title>私は小さな「ラボ」で、子どもたちと教科書を丁寧に読むことをし...</title>
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私は小さな「ラボ」で、子どもたちと教科書を丁寧に読むことをし...
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260924192946/</link>
<pubDate>Thu, 24 Sep 2026 19:29:00 +0900</pubDate>
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<title>教科書を読む…、ただそれだけ。</title>
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<![CDATA[
小さな塾をやっている。だが、ボクはそれを「塾」とは言わない。「ラボ」と呼んでいる。特にカリキュラムはないし、学校の授業のやり直しをするわけでもない。学生のアルバイトの講師も雇わない。でも、それぞれの分野のプロを先生として招いている。業務委託というヤツだ。「ラボ」には特別のテキストがあるわけではない。教科書を読む…、ひたすらに…、だけども丁寧に読み込む。子どもたちは、最初は教科書が読めない。学校で教科書をほとんど使ってないからだ。そんな不思議なこと…、そしてそんな理不尽なことがあるのか…、初めのうちは愕然とした。特に中学になると、先生はオリジナルな教材を使って（拵えて）授業を展開するらしい。で、「分かったね」となり、「確認のテストをやろう」ということになる。「やり方」は教える。でも「考え方」は教えない。「正解」には導く。でも「そこまでの理屈」は教えない。教科書には、その理屈が書いてある。だから理屈に沿って理解すれば、自力でも単元を終えることができる。ただ、教科書は「ちょっとだけ不親切」だ。つまり、「ちょっとだけ理屈が丁寧ではない」…、雑なんだ。その「雑さ加減」がいい…、そうボクは思っている。何でもかんでも「懇切丁寧に」書かれていればいいってもんじゃない。書かれていないところで、生徒は「？」となる。この「？」に至る導線も、どうやら教科書の編集による「仕掛け」みたいだ。だから、教科書を読むと「考える」クセがつく。自力で「分かる」ようになるまでの耐性がつく。ボクは、今、ある中学2年生と「数学」の教科書を一緒に読み込んでいる。専門の社会と、ちょっとだけ畑違いの国語も教えているけど、それらとはまったく違う世界を学んでいるんだ。すると「これ…、国語力ですよね」と中学2年生が言う。「そうだよ。特に数学の教科書は国語力が大切だね」とボクが返す。「数学って理屈なんですね」…、中学生がそこに気づく。「そう。だから丁寧に読む」「学校では先生からやり方だけ教わって、あとは問題を解くだけ」「それだけ？」「それだけ。で、ひたすらワーク（問題集）をやれって。そこから定期考査の問題を出すって」「それがおかしいって思ったんだね」「はい。なんでもっと教えてくれないのかなって…、学校行く意味があるのかなって…」「だから不登校になった？」「いえ、不登校ではありません。プチ不登校です」教科書の威力は絶大だ。でもそのことに誰も気づいていない。つまり教科書を読まない。先生は教科書を読ませない。だから教科書が読めない…。これって、実は大問題なんじゃないかって思う今日この頃です。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260921125732/</link>
<pubDate>Mon, 21 Sep 2026 14:33:00 +0900</pubDate>
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<title>人間には、組織に馴染み、努力や協調性を大切にする「タイプA」...</title>
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人間には、組織に馴染み、努力や協調性を大切にする「タイプA」...
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260915205621/</link>
<pubDate>Tue, 15 Sep 2026 20:56:00 +0900</pubDate>
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<title>息を合わせる…、ただそれだけ。</title>
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中学から高校にかけて、ボクは吹奏楽に、その青春をぶつけていた。楽器はホルンである。野球しか知らなかったボクが、突如として音楽の道へ向かったことに、親（特に父親）は驚いていた。そして中学でも高校でも、ボクは吹奏楽部の部長となった。とりわけ高校の吹奏楽部での部長という立ち位置は、そのまま学生指揮者という立場でもあった。週に一度だけ、正指揮者が学外から招かれ、その指揮者のアドバイスを翌週までに演奏に落とし込む。それが学生指揮者の役割であった。この学生指揮者であった丸1年間、ボクはとてつもなく貴重な体験をすることになる。50人の部員（楽団員）を前に、指揮をする。ということは、毎日、それぞれの楽器のピッチを合わせるところから始めなければならない。音合わせのことである。が、高校生の素人楽団員50人分の「ピッチ合わせ」には、実はとてつもない時間がかかる。ピッチが狂っていれば、どんなに器用に演奏しても、音楽が台無しになるからだ。初めに基準となる「音」を出す。ピアノでもいいし、音叉でもいい。最近では、電子チューナーを使うことが多いらしい。その「音」を基準に、全員が音合わせをする。その日の気温や湿度、演奏者の体調によってもピッチは変わるから、この音合わせには慎重を期す。で、指揮者（ボク）の合図に合わせて、全員でスケール練習をする。ドレミ…、それぞれの音を出しながら、全員の音がチューニングされているかどうかを測るためだ。すると必ずと言っていいほどの確率で、皆の音（実際には音の束）からはみ出す者が出る。音は空気を振動させるのであるから、その振動に乱れが生じるとヘンな感じになる。それが不協音だ。その不協音の犯人を捜す。各パート（楽器）毎にスケールをさせる。いた！その日は、アルトサックスの奏者のピッチが狂っていたのだった。そんなことを繰り返した後に、やっと正指揮者から預かっている「課題」に取り組むことができる。例えば、「今日は第〇小節の頭から…」と言えば、全員の目がボクの指揮棒の一点に集まる。そして集まるのは、「目」だけではない。呼吸も集まる。つまり4拍子の曲の場合、4拍目の予備拍（1拍前）のタイミングで、皆が息を吸い込む。面白いことに、打楽器奏者だってそれをやる。文字通り「息が合う」動作そのものを練習するのである。すると、1拍目の「ジャン！」が決まる。今日のボクのブログは、いったい何が言いたいのか？読んでる方々が訝しがるのも無理はない。ボクが言いたいのは…、最近の学校授業…、この「音合わせ」と「息合わせ」が足りないんじゃないの？と言うことだ。皆のピッチが合わないまま、皆の息が合わないままで、授業が始まっているような気がする。だから中途で、皆がバラバラになり、遭難する者が続出するんじゃないか…、って、勝手に思ってる。偉そうなことを言うが、「ピッチが合っている」「息が合っている」という状態は、実に気持ちがいい。それは指揮者だけではなく、いや、ホントは指揮者以上に、演奏者の方が心地よいのだ。だから授業も同じ、と考える。皆と「ピッチが合って」「息が合って」る状態にすれば、その授業に参加する全員に心地よさが広がる。クラス対抗合唱祭を思い出せばいい。真面目くんはもとより、ちょっと不良くんだって、その時ばかりは声を張って歌う。あれ、絶対に気持ちがいいからなんだ。気持ちがいいこと、心地がいいこと…、そういったことが、もっと学校全体に広がれば、皆が学校を好きになる。ただ、それだけのことだと思う。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260909131414/</link>
<pubDate>Wed, 09 Sep 2026 14:21:00 +0900</pubDate>
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<title>難民化する「タイプB」。</title>
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人間をタイプＡとタイプＢに分けてみる。タイプＡとは、いわゆる努力を惜しまず、忍耐強く、協調性も十分に持ち合わせた人々のことであり、学校や会社組織との相性がいい。タイプＢとは、組織に依存せず、独自の物差しで物事を捉え、直観で動くような人々のことをいう。だから集団からは疎まれることもあり得る。少し想像すればわかるが、世の中は「タイプＡ」の人々によって秩序が保たれ、上手く回っている。日本人が、外国人から見て「親切」で、「丁寧」で、「几帳面」な民族だと思われているのは、ほとんどが「タイプＡ」の人々の振る舞いからであろう。その意味で、タイプＢの肩身は狭い。ボクはちなみに、典型的なタイプＢなので、学校組織の中では「変わり者」の部類に入っていた。そんな「タイプＢ」がこれからの主流になる…、と７年前に著書で予言（？）していた御仁がいた。山口周という人だ。『ニュータイプの時代』という著書がそれなりに売れていたから、知っている人も多いと思うが、ボクもこの人の論に膝を打って共感した覚えがある。山口氏はタイプＢを「ニュータイプ」と呼んでいる。で、このニュータイプ（タイプＢ）は、それからどうなったのか？っていうセミナーを先日、オンラインで実施した。結論から言えば、この７年でタイプＢが増えたという形跡はない。むしろ、圧倒的な勢いでタイプＡが増殖してきたと、少なくてもボクの肌感覚ではそう感じていた。どうやら、2000年代以降の改革期を終え、学校教育が「今のカタチ」へと完成したのが、ここ4～5年のことであることと関係がありそうだ。つまり、現在の学校教育は、紛れもなく「タイプＡ」を大量生産するという設計の下で運営されている。成績を初めとする各種の評価（内申）は、明らかにタイプＡに有利に働いていることは、ボクたち大人よりも、子どもたち（特に中高生）には、とっくにバレている。だから彼ら（タイプＢ）は、健気にも学校生活においてタイプＢであるにもかかわらず、タイプＡであるがごとく振る舞う術を覚えた。そうしないと、学校だけでなく社会にも実装された「推薦社会」という箱から閉め出されてしまうからだ。そしてこれは、完全に個人の私見であるが、不登校生徒の中には、実を言うと大量の「タイプＢ」が潜んでいるのではないかとボクは考えている。しかし、前述した山口氏が指摘（予言？）したような「タイプＢ（ニュータイプ）の時代」は、一向に始まっていない。面白かったのは、そんなセミナーへの参加者の大半が「自分はタイプＢである」ことを認識していることであった。「タイプＢの時代を検証する」などと銘打つ、ボクのセミナーに敢えて参加するくらいの人々なのだから、そういった行動を取ること自体がタイプＢの証でもあった。そして、参加者は口を揃えて言う。「タイプＡとして（タイプＡに寄せて）生きている」と。世の中の変わり目には、絶対にタイプＢが必要であろう。そして、まさに今が「世の中の変わり目」であろう。なのに、未だに「タイプＢのための市場」がない。相変わらずに肩身は狭い。このような社会設計にした人々（教育者や政治家や起業家）は、これからもホントにタイプＡの「努力」と「忍耐」にぶら下がって、この国を束ねよとしているのであろうか。ボクはそれでも良いと思っている。歳も歳だし、ボクは勝手にタイプＢを生きる。しかし、タイプＡを横目に見ながら、それでもタイプＢを行ききらなければ、自身のアイデンティティーが保てない若者は、これからいったいどのように生きたら良いんだろうって、これも勝手に心配している。そんな今日この頃だ。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260831191611/</link>
<pubDate>Mon, 31 Aug 2026 19:57:00 +0900</pubDate>
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