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<title>不登校予備軍へのメッセージ。</title>
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教員生活を送っていた10年目、30代の前半にボクは突然、体の変調に襲われた。35年も前のことだ。手足の指先、つまり末梢神経のしびれ、それに得体の知れぬ虚脱感…。地元病院での臓器の検査、脳波の検査…、どれも異常はなかった。それでも手足のしびれは続いている。ボクはすぐに人づてに紹介された大学病院に行った。日本で初めて「診療科内科」を設置していた大学病院だ。そこで「すくに入院しろ」と言われた。聞き慣れない「心療内科」で、ボクは毎日、同じ時間帯に問診を受けた。2週間の入院後、ボクに与えられた診断名は「自律神経失調症」。当時の日本の最先端医療（心療内科）でも、そんな抽象的な診断名しかつけられないのか…。ボクはなんとも晴れない気持ちで、その後も、1ヶ月の自宅療養を続けた。手足のしびれ、それに虚脱感は解消された。だからボクは現場に復帰した。そしてそれまでと同じようにガムシャラに働いた。今思えば、ボクにも周囲にも知識が足りなかった。「自律神経失調症」とは、一時的な自律神経の乱れ…、その程度の認識しか世間にはなかったのだ。つまりボクはそれまでの生活を顧みることなく、いつもと同じように「正義の教員生活」（自称）を続けていた。そして更に10年後、ボクは40代の前半に、再び得体の知れない体の変調に襲われていた。きっかけは「音」だった。職場での同僚の会話音が、何十倍にも増幅されたようなノイズに聞こえた。電話に出ることもできなくなった。会話相手の声をノイズと感知し、ボクがそれに耐えられなかったからだ。そのような日々をそれでも何とか送っていたある日の朝…、ボクは顔面麻痺（右側半分）を発症した。すぐに病院にいった。この時も脳波に異常はなく、臓器も正常だった。そしてボクは、10年前の「自律神経失調症」を思い出した。「メンタルヘルス」という言葉が、やっと市民権を得始めていたから、ボクは躊躇なく心療内科の扉を叩いた。それでも、その頃の心療内科専門医院（クリニック）は、まだ都内にしかなかった。しかも、どれも満足な問診すらすることなく（5分程度の問診）、安易に精神安定剤の処方をする程度のクリニックだった。ボクは、まったく納得していなかったし、満足もしていなかった。この国のメンタル医療の遅れを肌で感じる日々だった。初めてボクの症状と真剣に向き合ってくれたのは、14軒目に出会ったクリニックだった。初回で60分間、問診した。その後も毎週1回の60分の問診が続いた。そして一か月後、ボクは「うつ病」と診断された。そして1年間の休職を勧められた。確かにボクはおかしかった。この10年間の「正義の教員生活（自称）」のツケが一気に襲いかかってきたのだ。ボクは、教育現場からの「撤退」を考えた。生活がかかっているのだから、「働かない」という選択肢はなかったからだ。それに1年間休職したって、ボクが晴れて現場復帰できる保証なんかどこにもなかったからだ。しかし担当医はこう言った。「メンタルが弱っている時に『大事な決断』はするものではない」と。「ワタシは『安易な撤退には反対』です」と。「ワタシがアナタを『復帰へ導く』」と。ボクは担当医を信じてみることにした。1年後、ボクは現場に復帰していた。そして60歳…、定年まで働いて今日がある。今でも現場は変えながら、それでも教壇に立ち続けることができているのは、担当医（女医）のおかげだ。なんで、ボクがそんなプライベートを吐露するのか？それは、ボクのあの時の「撤退」願望が、現在の不登校予備軍の「撤退」願望に通底するからだ。「撤退したい…」、その心情は痛いほどわかる。ボクも同じだったから。でもね、それは「今じゃない」…、かもしれない。まずは休職（自主的・自立的休学）して、ゆっくりとメンタルを整えればいい。少なくとも、ボクはそれを「不登校」とは呼ばない。あくまでも「自主的休学」…。慌てることなんかないんだ。一人でもホントに信じることができる人に出会えれば、きっとその意味がわかると思うんだけどな。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260724091609/</link>
<pubDate>Fri, 24 Jul 2026 10:42:00 +0900</pubDate>
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<title>学校という構造のせいで、公平•公正を意識せざるおえない。</title>
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学校という構造のせいで、公平•公正を意識せざるおえない。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260721224437/</link>
<pubDate>Tue, 21 Jul 2026 22:44:00 +0900</pubDate>
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<title>放課後補習文化再興論。</title>
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不登校は、その大半が構造的な問題である…、というのがボクの持論である。学校の構造、人間関係の構造、社会の構造、それに家庭の構造…、それらの構造が絡み合って不登校が発生すると考えている。もちろん、不登校という現象が、そんな構造論だけで簡単に片づけられるような安直な問題ではないことは承知している。しかし、ここ20年ほどで完成された「学校の構造」だけにフォーカスを当てても、今の学校にとって不適切な生徒が、静かに「排除されている」といった「構造」が見て取れる。例えば「授業」…、これもクラス生徒と担当教師とによる「構造的な産物」である。義務教育の場合、大抵の先生は公務員だ。そしてこの公務員（正しくは教育公務員）という人々の中にも、明らかに「構造」は存在する。その構造の大半を占めているのが、「公平」と「公正」であろう。たとえ子どもの年齢にあるといっても、児童・生徒には「市民」としての権利がある。嫌な言い方をすれば、そんな子どもたちと、まずは「公平」「公正」に接しているか…、その大前提が先生には課せられている。そのような「構造」の中で、だから先生は「授業がわかならい」生徒を対象とした「補習」をすることができない。「公平」「公正」ではないからだ。先生にどんなに正義感があっても、子どもたちを放課後に残して「わかるまで勉強させる」ようなことは絶対にできない…、そんな「構造」の中で、先生たちも無力感を抱き、時には罪悪感に苛まれていることは想像できる。だって、普通に授業をしていれば「わかってる」「もう少しでわかるようになる」「まだわかってない」「ただ途方に暮れている」などといった状態にある子どもたちが手に取るように「分かる」ものだからだ。そして先生たちが罪悪感を感じるのは、「まだわかってない」「ただ途方に暮れている」…、そういったカテゴリーに存在する子どもたちに「何もしてあげられない」と感じた時である。「授業がわからなかった人…、放課後に残りなさい！」…、それが出来ないのである。それを宣言することすらできないのである。たとえ「放課後補習」を宣言したとて、すぐさま管理職に止められてしまう。特定の生徒だけに「補習」をすることは「公平」「公正」の精神に反する…、それが理由である。だから「放課後補習」という学校文化は、21世紀に入ってからは見られなくなった。これを、ボクは敢えて「排除」と呼ぶことにしている。授業内容が「まだわかっていない」「ただ途方に暮れている」ところの子どもたちが、「公平」「公正」という名の下で「排除」されているからである。真の意味での「公平」「公正」とは、同じ授業を同じ回数受けることではなく、同じ授業を「同じようにわかるまで受ける」ことができる状態を言うのだと思っている。つまり、授業が「わからない」という状態から「わかるようになった」状態へと橋渡しをする、一本の確実な「道」が閉ざされた状況に彼らは放置されているのである。だから彼らは「授業がつまらない」と言う。あたりまえである。わからない授業は「つまらない」のだ。逆に「わからない」ことが「わかる」ようになった時、人は「おもしろい」を体感する。そんなあたりまえを、今の学校は「構造」の中で放棄してしまっている。そんなことが「正義」と言えるであろうか。ボクは「授業こそが『正義の発露』である」と思っているのであるが、現場の先生は、そこんところをどうのように感じているのであろうか。忸怩たる想いを抱いているのであれば、何とか心ある先生が集まって「放課後補習文化」を再興させていただきたいのである。定年退職した元先生のボランティアで、放課後個別指導をして「お茶を濁している」場合ではない。彼らには「授業で教わった先生からのフォローが必要」なのである。どこで「つまづいた」のか…、どこから「わからなくなった」のか…、それを肌で感じているのは授業担当者だけである。だから必要なのは、授業担当者による「放課後補習文化」なのだ。そうするだけで、おそらくは不登校児童・生徒は減少すると思うのだが…。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260716183309/</link>
<pubDate>Thu, 16 Jul 2026 19:31:00 +0900</pubDate>
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<title>学校の構造が想像以上に変わっているのかもしれない。</title>
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学校の構造が想像以上に変わっているのかもしれない。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260707075147/</link>
<pubDate>Tue, 07 Jul 2026 07:51:00 +0900</pubDate>
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<title>念願叶った？　学校の完成形。</title>
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別に脅かすつもりはないが…、明日からあなたの子どもが「不登校になる」ということは十分に考えられる。そういう時代にボクたちは生きている。そういう時代って「どんな時代？」と思う人もたくさんいるだろう。子どもたちから少しずつ学校に対して「NO！」が突きつけられる…、そういう時代だ。子どもたちは競争を避ける。比較を嫌う。圧力から逃げる。混沌を苦手とする。そんな中にあって、学校には未だに「競争」「比較」「圧力」「混沌」が蔓延している。昭和を懐かしむ人々は「競争」「比較」「圧力」「混沌」こそが、自分たちを成長させてきた源泉である…、そう思っているに違いない。けれども昭和と令和の現代とでは、学校における子どもたちの「密度」がまるで違うってことに、ボクたちは改めて気づかねばならない。昭和の学校には子どもたちが溢れかえっていた。圧倒的多数の子どもたちこそが、実は学校のマジョリティーを形成していた。大人（先生）の存在は、確かに絶対的ではあったが、その圧力を子どもたちの密度がはるかに上回っていた。だから子どもたちは、個々人が、「自分のリズムで息をすること」が許されていた。大人（先生）には、生徒ひとり一人の「息のリズム」に介入するだけの余力などなかったワケだ。だから学校（先生）は「事故が起きない」範囲で、子どもたちを「ゆる～くまとめる」…、ただそれだけでよかった。所詮、大多数の子どもたち（マジョリティー）を「管理」するなんてことはできな相談だったから、ハナから先生たちは「子どもを管理する」という発想を持たずに済んだのである。けれども今は違う。少子化で、子どもたちがマイノリティーになってしまった。逆に、「キメの細かい教育」「面倒見の良い教育」を標榜するがあまり、先生たちの人数は増え続け、先生たちが学校の主人公になってしまった。その息苦しさは、相当なものであろう…、とボクは考える。そしてこんなズボラなボクだって、その息苦しさから逃げたくなって「不登校」を選んでしまう可能性は十分にあると思ってしまう。学校は、なんであんなに「管理」したがるのだろう？先生は、どうして子どもたちを「枠」の中に入れたがるのだろう？管理教育が国にとって上手に機能し始めたのは、３０年ほど前のことだ。その時代に「子ども時代」を過ごした人々が、今、学校の中心になって動かしている。「管理されること」をあたりまえとして育った人々は、人（子どもたち）を管理することが「正義」であると真剣に思っている。だから真面目に「管理」する。そして、その「管理されること」を大多数の子どもたちが、実は自ずから望んでもいる。「ボクたち、ワタシたちをちゃんと『管理してください』」といった子どもたちからの声が聞こえる。これこそが、３０年来の念願であった「管理教育の完成形」なのである。だから、そんな完成された「理想的な学校」に来られない状態にある「不登校」を、先生は本質的な部分で理解することができないのである。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260704195835/</link>
<pubDate>Sat, 04 Jul 2026 20:45:00 +0900</pubDate>
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<title>「我が強い」。</title>
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「我が強い」。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260627212509/</link>
<pubDate>Sat, 27 Jun 2026 21:25:00 +0900</pubDate>
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<title>「個性」「多様化」…、その真逆をいく学校　～個性がおさえ込ま...</title>
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「個性」「多様化」…、その真逆をいく学校　～個性がおさえ込ま...
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260627210404/</link>
<pubDate>Sat, 27 Jun 2026 21:04:00 +0900</pubDate>
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<title>カウンセリングとコーチング。</title>
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かつて、25年以上も前に、都内で心理学講座を学んでいた時期があった。まだメンタルヘルスがどうのこうのと言われる以前、未だ社会の雰囲気が「どこか牧歌的であった」頃に、ボクは「心理学」に出会った。その頃、ボクは今で言う「メンタル」が完全におかしくなっていて、通院もしていた。その通院を決めたクリニックは、当時のボクの症状に対して、ボクが初めて納得のいく回答を得ることができたクリニックだ。様々な病院のドアを叩き続けて、やっと14件目に出会ったそのクリニックには、今でも毎月通っている。そこの先生（女医）に言われた。「あなた少し『心理学』でも学んだほうがいいわよ」と。「今までの自分がいかに『無理してきた』か、いかに『かっこつけてきた』か…、ということについて客観的に知るべきよ」と。自分で言うのもなんだが、ボクはかなり正義感が強い。無謀にもあらゆる理不尽には、本能的に立ち向かってしまう癖がある。つまり「無理をしてかっこをつけていた」ワケだ。だから、どんな仕事も、どんな相談事も、それを断わることはしなかった。「できない…」、それを口にすることは敗北に等しかったのである。「『できない…』それを言わなかったことが、あなたの心を蝕んだ最大の原因よ…」と女医は言った。ボクはいたく納得した。そして久々に心が晴れた。「できない…」を言っていいんだ…。それからのボクは、職場で「できない」「やらない」を連発した。部活の顧問を辞めた。放課後の補習もやめた。夕方の5時以降は、極力働くことを避けた。当然にトラブルにはなる。でもその空いた（夕方以降の）時間を使って、ボクは「心理学講座」を受講することができるようになった。その講座には「カウンセラー養成講座」にもつながっていて、ボクはそれも受講しようと思った。そのことを件の女医に相談した。「それはやめた方がいいわね」…、と女医はあっさりと言った。「あなたは正義感が強くて、主張が強くて、他人への影響力も強い人なの…」「そんな人はカウンセラーにはむいてないわ」「あなたには、そうね、どちらかと言えば『コーチング』がむいてるんじゃないかな…」そう言われてみて、ボクはハタっと気づいた。学校という職場で、ボクの元には結構たくさんの教員や生徒が相談にくる。同じような人々が何故ボクの元に途切れることなく相談にくるのか…。ボクはそういった人々の相談を受けて（悩みを聞いて）…、それをじっくりと「傾聴していた」…、ワケがない。「傾聴」せずに、ボクは「ボクの意見」「ボクの見解」をハッキリと言い渡していた。それを聴く相談者は、けれどもみるみるうちに表情が明るくなってくる。「目が覚めました」…、「心が軽くなりました」…、そんな風にボクに言ってくれる。ボクも、悪い気はしない。でも、それは絶対にカウンセリングなんかじゃない。知らず知らずのうちに、ボクはカウンセリング（傾聴）ではなく「コーチング」を実践していたのだ。結局、ボクは「カウンセリング養成講座」を受講することはなかった。「受講しても受からないだろう」…、と、養成講座を受け持つ講師（心理士）にも言われた。ボクは「我が強い」。ボクは「圧が強い」。ボクは「主張が強い」。けれども、そんなボクにも何とか教員は勤まった。今じゃ「教育相談」もやっている。そう、かなり「アクの強い教育相談」だ。相談の中には、進路・進学相談の他に、当然に不登校相談もある。つまり、不登校の相談にも、ボクは「アクの強い回答」を返している。そういう人間である。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260627125638/</link>
<pubDate>Sat, 27 Jun 2026 13:56:00 +0900</pubDate>
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<title>一般的に心の病とされている「不登校」だが、実際は「家庭環境」...</title>
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一般的に心の病とされている「不登校」だが、実際は「家庭環境」...
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260622121957/</link>
<pubDate>Mon, 22 Jun 2026 12:19:00 +0900</pubDate>
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<title>不登校とシステムズアプローチ。</title>
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ある特定の個人の悩みや問題を解決する心理療法のひとつに家族療法とうものがある。システムズアプローチともいうこの療法では、悩みや問題を抱える「個人」にフォーカスをあてるのではなく、その人が所属する「家族」や「職場」などの集団（システム）全体に目を向けることによって、問題解決の糸口を見つけ出そうとするものである。このシステムズアプローチを「不登校」という問題にあてはめてみよう。すると、不登校の原因は「本人の心の中にある」とする従来の考え方が根底から覆される。不登校の原因を、子どもの心にではなく、彼らが関わるシステム、つまり「家族」や「学校」における「人間関係のパターン」に求めることができるのだ。ボクは子どもの不登校で悩む保護者との相談の中で、必ず子どもが関わる「家族」という領域にまで質問の手を伸ばす。それはその子どもの「家族のカタチ」を知り、その家族が正常に「機能しているか否か」を確認するためである。するととても興味深いことが分かってくる。つまり不登校にある子どもが、なんと「家族の異常」「家族の歪み」を、その家族を代表してＳＯＳで発信している…、という事実が分かってくるのだ。前述したシステムズアプローチの世界では、このＳ０Ｓを発信する不登校の子どもを「ＩＰ」と呼ぶ。「ＩＰ」とは、「IdentifiedPatient」の略で、「一応の患者」とか「患者とみなされた人」という意味をもつ。そしてこの「ＩＰ」を「問題のある人」として扱うのではなく、「家族システム全体の不調や機能不全を、目に見える『症状』や『問題行動』として、身代わりを引き受けてくれる人」として捉えるのだ。さて自身の家族の中で、ＩＰとして不登校という問題行動を起こしている子どもの内面を想像してみよう。彼ら（彼女ら）は、家族の不調を訴えているのである。だが思春期の只中にある彼らの胸中は複雑で、しかも言葉は、実につたない。それでも彼らは「なんかおかしいぞ～」って体を張って訴えるのである。その彼らの訴えに「はっ…」として気づいてあげることができる親なら…、きっとそんな親であれば、まずは子どもの不登校を嘆く前に「家族の修復を図る」であろう。けれども、そこにまで到達できない保護者があまりにも多い。ボク自身、不登校に関わっている身として、誤解を怖れずに言う。不登校児童・生徒の半分以上は、その根底に「家族の問題」を抱えている。残念ながら、それが事実である。
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<link>https://educational-pj.jp/blog/detail/20260620154025/</link>
<pubDate>Sat, 20 Jun 2026 16:53:00 +0900</pubDate>
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